英国の医学誌The BMJが2026年9月16日、調査報道を出した。
The BMJは1840年創刊の総合医学誌で、NEJM、Lancet、JAMAと並ぶ四大誌の一つ。論文だけでなく、公的機関の対応を検証する調査報道でも知られる。
記事の要点
監視の統計が「マスキング」でほぼ無効になった。その欠陥をFDA内部の医師が同じ政府内に警告したのに、止められた。それなのに当局は「異常は出ていない」と安全性を説明し続けた。
ここでいう米当局は、民間企業でも議会でもない。ワクチンの承認と市販後の安全監視を担う連邦政府の保健機関である。主に次の2つだ。
FDA(食品医薬品局)
薬とワクチンの承認、市販後の安全監視を担当する。新型コロナワクチンでは、生物製剤評価研究センター(CBER)所長のピーター・マークス氏が規制の中心にいた。VAERSの統計分析のうち、経験ベイズ法を動かしていたのもFDA側である。
CDC(疾病対策予防センター)
接種の運用、現場への注意喚起、安全監視の広報を担う。当時の所長はロシェル・ウォレンスキー氏。免疫安全室のトム・シマブクロ氏らがVAERSを「最前線の早期警戒システム」と説明していた。
VAERS自体は、CDCとFDAが共同で運営する報告窓口である。だから「米当局」とは、この両機関の上層部と現場責任者を指す。
なぜ監視が必要だったのか
接種開始前、CDCはVAERSで統計を回し、「いつもよりこの症状の報告が多すぎる」という合図(シグナル)を早く拾うと説明した。大量接種の安全弁のはずだった。使う予定だったのが、次の2つの計算方法である。
PRR(比例報告比)
簡単に言えば、「このワクチンでは、他のワクチンに比べて、この症状の割合が高すぎないか」を見る方法だ。全体の報告のうち心筋炎が1%なのに、あるワクチンでは10%なら「おかしい」と点灯しやすい。感度は高い。その分、ノイズも出やすい。CDC側が使う想定だった。
経験ベイズ法
FDAが実際に頼った方だ。過去のデータや全体の傾向を加味して、「本当に異常らしいもの」だけを拾おうとする。PRRより慎重で、誤報を減らしやすい。当局はこれを「より堅牢な手法」と呼んだ。ただし前提がある。比べる相手が十分に多様であることだ。同じ種類のワクチンばかりだと、慎重な計算ほど異常を見逃す。
マスキングとは何か
ここからが本題だ。接種開始1年で、VAERSに入った報告の9割以上がmRNAワクチン(ファイザーとモデルナ)だった。他のワクチンの報告はごく少なかった。すると何が起きるか。
ファイザーを調べるとき、比較相手の大半がモデルナになる。
モデルナを調べるとき、比較相手の大半がファイザーになる。
両方で心筋炎などの報告が同じように増えていれば、「観察された数」と「期待される数」が近づく。計算上は「特に目立たない」になる。異常があっても警報が消える。これがマスキングだ。
BMJによると、このせいで心筋炎、心膜炎、ベル麻痺、耳鳴りなどで、公式の経験ベイズ法はほとんどシグナルを出さなかった。一方、PRRで見ると多くの異常が点灯した。
FDAの医師は、誰に何を言ったのか
警告したのは、外部の活動家ではない。FDAの中にいる医師アナ・ザルフマン氏である。ただしワクチン部門ではなく、医薬品部門の安全監視が専門だった。データマイニングの実務に長年携わってきた人物だ。
彼女は統計学者とともに、パンデミック下では既存の経験ベイズ法がシグナルを消す、と指摘した。2020年12月には改善案を説明し、2021年2月にはワクチン規制の責任者マークス氏に直接メールした。指揮系統を飛び越えてまで「この問題を直すべきだ」と伝えた形である。
その後の会議では比較図を示した。PRRは赤く点灯する。当局の経験ベイズ法はほぼ緑(異常なし)になる。「この低い件数では役に立つ情報が出ない」と説明し、改良版アルゴリズムの採用を求めた。
FDAの医師がFDAに抗議した。正確には、医薬品部門の安全監視担当医が、ワクチン規制の上層部に欠陥を訴え、方法の変更を求めた。CDC側にも、この限界は複数回伝わっていた、とBMJは書いている。
上層部はどうしたか
マークス氏側は方式を変えなかった。2021年5月、FDA生物統計・疫学部門の幹部クレイグ・ジンダーマン氏はザルフマン氏にメールし、コロナワクチンの有害事象データで独自分析を送るのはやめてほしい、と求めた。
理由は「注目されている時期は標準的な方法を使うべきだ」「途中で感度を変えると混乱し、ワクチンへの信頼に影響しうる」というものだった。ザルフマン氏は従うと答え、分析は求められたときだけ出す、と約束した。
現場では矛盾が出ていた
イスラエルや米軍から心筋炎の報告が来ても、当局は当初「シグナルは出ていない」と繰り返した。マークス氏自身、CDCが医師向け注意を出そうとしたとき、「公式監視でシグナルが出ていないのに、なぜ出すのか」とウォレンスキー氏にメールしている。
一方、CDCのシマブクロ氏は2021年6月、若い男性で心筋炎報告が想定を大きく上回ると公表する前日、FDAの最新結果を見て「なぜ心筋炎がアラートしないのか不可解だ」とメールしている。
報告は増えている。公式の警報は鳴らない。その理由の一つがマスキングだった。
何が問われているのか
BMJが問うているのは、副反応そのものより監視の失敗である。欠陥を知り、直し方もあった。それでも公式の方法は維持され、警告したFDA内部の医師は止められ、「シグナルなし」が安全性の根拠になった。
後に心筋炎などの関連は認められる。だが、最も早く異常を見つけるはずの仕組みが、いちばん必要な時期に働いていなかった——それがこの調査の中身だ。
※本稿はThe BMJ調査報道を一般向けに整理したものです。詳細は原記事を参照してください。
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