山田正彦弁護士、TPP新聞2025年2月発行より
1960年代は、食料自給率が70%あった。そのときは、米を作った後、二毛作で麦を作り、翌年は大豆を作っていた。すると、大豆も米も収量が増える。大豆によって、窒素が固定されるので、化学肥料もいらなかったのだ。
ところが、アメリカから麦を買え、遺伝子組換え大豆を買えと言われて、生産をやめさせてきた。一方で国は米が余っているのにも関わらず、米国などからの毎年77万トンの米をミニマムアクセスとして買わされてきた。アクセス米はこれまで政府は法律上の義務だとして国内価格が60kg1万円を割り込んでいるときにも24,000円で購入してきた。こうして、日本はみるみるうちに自給率が37%にまで落ち込んでいった。
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