釧路市立博物館の資料によると、釧路湿原は、約2万年前の最終氷期に形成が始まりました。約6,000年前の縄文海進により「古釧路湾」となり、その後砂嘴(さし)が湾を閉じ湖へ変化。約3,000年前に湖が淡水化し、土砂で埋め立てられ、現在の湿原が誕生しました。
湿原は水が東に集まる西高東低の構造が特徴で、西側は東側より5~7mほど標高が高いです。これは、約6,000年前から続く西側の隆起と東側の沈下という地盤運動によるものです。
湿原は泥炭地(でいたんち)であり、維持には泥炭と水が不可欠です。泥炭は、水温や溶存酸素が低いために分解されずに残った湿原植物の遺体(「草の漬け物」)です。泥炭の堆積速度は極めて遅く、1年でわずか1mm程度とされ、この泥炭がスポンジのように水を吸い込み、湿原環境を支えています。
釧路湿原、驚くべき真実
広大な緑の大地を蛇行する川、タンチョウが優雅に舞う姿。多くの人が「釧路湿原」と聞いて思い浮かべるのは、そんな雄大で静かな光景ではないでしょうか。どこまでも続く水平な大地は、まるで太古の昔から変わらない姿でそこにあるかのように見えます。
しかし、その穏やかな風景の下には、数千年という時間をかけた、壮大でダイナミックな地球のドラマが隠されています。私たちが今見ている湿原は、実は絶え間ない変化の末にたどり着いた、ほんの一瞬の姿に過ぎません。この記事では、釧路湿原の地面の下に眠る、3つの驚くべき真実を紐解いていきます。
驚きの真実1:かつて、そこは広大な海だった
現在の釧路湿原は広大な淡水の湿地ですが、その原型が作られ始めた頃、そこは塩水で満たされた海でした。この信じられないような変貌は、地球規模の気候変動によって引き起こされました。
まず、約6,000年前の「縄文海進」と呼ばれる時代、地球の気温が上昇し、海面が現在よりも高くなりました。この時、海水が内陸深くまで侵入し、現在の湿原一帯は「古釧路湾」という複雑な入り江を持つ湾になりました。
次に、今から約4,000年前になると、湾の入り口に砂が運ばれて巨大な砂の堤防(砂嘴)を形成し始めます。時を同じくして地球の気温は低下に転じ、海が後退して陸地が広がる「海退」が始まりました。この二つの作用によって湾は海から切り離され、巨大な湖へと姿を変えたのです。やがて、周囲の川から淡水と土砂が流れ込み続けることで湖は徐々に埋め立てられ、約3,000年前に現在の釧路湿原が誕生しました。その名残として、湿原の東側には今もシラルトロ湖、塘路湖、達古武沼といった湖沼が残されています。
驚きの真実2:大地は今も静かに「傾き」続けている
釧路湿原を上から見ると、地形にひとつの大きな特徴があることに気づきます。それは「西高東低」、つまり西側が高く、東側が低いという地形です。その標高差は、実に5~7メートルにも及びます。そして驚くべきことに、湿原を囲む丘や崖は、かつてこの場所が海だった時代に波が削ってできた「海食崖」なのです。つまり私たちは今も、太古の湾の輪郭を見ているのです。
この傾きは、単に昔からそうだったというわけではありません。これは約6,000年前から始まり、現在も続いている地盤運動の結果なのです。湿原の西側は隆起し、東側は沈下するという、非常にゆっくりとした、しかし確実な「傾き」が今この瞬間も続いています。
この見えない力は、湿原の景観にはっきりと現れています。標高が高く勾配がある西側では川が大地を削る力が強く、複雑な蛇行を繰り返す流れが生まれます。一方、大地が沈み込む東側は水が集まる受け皿のようになり、川の流れは緩やかで直線的になります。湿原の東側に湖沼が集中しているのも、この傾きが原因です。静かに見える湿原の姿は、実は大地そのものが動き続けることによって、常に形作られているのです。
湿原は3000年モノの「草の漬け物」でできている
私たちが歩く湿原の地面、その正体は何だと思いますか?それは「泥炭(でいたん)」と呼ばれるものです。泥炭とは、ヨシやスゲといった湿原の植物が、完全に分解されないまま何千年もの間堆積してできた層のことです。
では、なぜ植物は分解されずに残るのでしょうか。それは湿原の特殊な環境に理由があります。湿原の水は流れがほとんどなく、水中の酸素が非常に少ない状態です。また、水温も低いため、有機物を分解する微生物の活動が極めて不活発になります。秋になって枯れた植物は水に浸かりますが、この環境では完全に分解されることなく、毎年毎年積み重なっていきます。このプロセスは、まさに次のように表現できます。
これが毎年繰り返され「草の漬け物」となって厚くなるのです。
泥炭が堆積するスピードは非常に遅く、1年でわずか1mm程度といわれています。つまり、もし3メートルの厚さの泥炭層があれば、それは3,000年という想像を絶する年月をかけて作られたことを意味します。釧路湿原の足元には、気の遠くなるような時間の記録が、巨大な有機物のアーカイブとして眠っているのです。
あなたの目には何が見えますか?
今回ご紹介した3つの真実—かつては海だったこと、大地が今も傾き続けていること、そして足元が数千年分の「草の漬け物」でできていること—は、釧路湿原のイメージを大きく変えるものだったかもしれません。
この壮大な歴史を知った上で、私たちは目の前の「変わらない」ように見える自然をどう見るでしょうか。そして、この長くゆっくりとした自然の営みと、私たち人間の時間の関わりについて、何を思うでしょうか。次に湿原を訪れるとき、その風景はきっと以前とは違って見えるはずです。
参照情報
釧路市立博物館館報「知られざる釧路湿原」
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