
経済産業省がまとめた資料に、見過ごせないグラフが載っている。1991年から2022年までの30年間、日本の時間当たり労働生産性は年率+1.2%で伸び続けてきた。米国(+1.7%)やドイツ(+1.3%)、フランス(+1.1%)と比べても、決して見劣りする数字ではない。日本の労働者は、真面目にこつこつと生産性を上げてきたのだ。
ところが、同じ期間の実質賃金の伸びは年率+0.1%。ほぼゼロである。米国は生産性+1.7%に対して賃金+1.3%、ドイツは+1.3%に対して+0.9%と、生産性の伸びの多くが賃金に反映されている。日本だけが、生産性と賃金の連動が完全に断ち切られている。
これは景気循環による一時的な現象ではない。30年という長期スパンで一貫して起きている構造的な現象だ。そして、この構造を放置してきたのは、他でもない自民党政権である。生産性の果実を労働者に還元する仕組みを作ってこなかった責任は、政治にある。
なぜここまで乖離が拡大したのか。理由は一つではない。
① 交易条件の悪化──稼いだ分が海外に流出する
日本経済は長年、円安によって輸出企業の収益を押し上げる政策を続けてきた。しかし円安は同時に、原油や天然ガス、食料品などの輸入コストを押し上げる。日本はエネルギーや資源の大半を輸入に頼っているため、円安・資源高が重なると、企業や国内で生み出した付加価値の多くが、輸入代金として海外への支払いに消えてしまう。
これを経済学では「交易条件の悪化」と呼ぶ。生産性を上げて効率よくモノやサービスを作れるようになっても、その果実の相当部分が国境の外に流れ出てしまえば、国内の労働者に回る取り分は増えない。歴代の自民党政権が円安誘導的な金融政策を支持し続けてきたことは、この構造を温存する一因になってきた。
②非正規化を助長する税制──直接雇用より外注が得になる仕組み
日本では、消費税の仕入税額控除という仕組みが、企業に非正規雇用や外注化を進める強いインセンティブを与えてきた。従業員を直接雇用して給料を払う場合、その人件費には消費税の控除が適用されない。一方、派遣会社に業務委託したり、外部業者に発注したりすれば、その支払いは「仕入れ」として扱われ、消費税の控除対象になる。
つまり同じ仕事をさせるにしても、正社員として雇うより、派遣や外注に切り替えたほうが企業の税負担は軽くなる。この税制上のゆがみが、平成以降の非正規雇用比率の上昇を後押しし、雇用全体の平均賃金を押し下げてきた一因になっている。この構造を長年放置してきたことは、政策的怠慢と言わざるを得ない。
③ 下請け構造での価格転嫁の弱さ──中小企業に賃上げ原資が回らない
日本の産業構造は、大企業を頂点に多くの中小・零細企業がぶら下がる下請けの多層構造になっている。原材料費やエネルギーコストが上昇しても、下請け企業は取引先である大企業に対して価格交渉力が弱く、コスト上昇分を販売価格に転嫁しきれないケースが多い。
結果として、下請け企業は利益を圧迫されながら生産性向上の努力を続けることになり、賃上げに回せる原資が生まれにくい。日本の雇用の多くを支えているのは中小企業であり、そこで賃上げ原資が枯渇すれば、経済全体の賃金水準は上がらない。大企業優遇の産業政策のツケが、結局は下請けで働く労働者に回っている構図だ。
④ 賃金が社内評価だけで決まる仕組み──生産性向上が給料に反映されない
日本型雇用の特徴である終身雇用そのものは、必ずしも悪いものではない。長期雇用による技能の蓄積や、企業への帰属意識の高さは、日本経済の強みでもあった。問題は、その終身雇用を前提とした賃金決定の仕組みにある。
同じ会社に長く勤め続けることが前提になっている日本では、給料は転職市場での市場価格や、会社全体の生産性の伸びではなく、社内の年功序列や上司の評価によってほぼ決まってしまう。そのため、会社全体、あるいは業界全体の生産性がどれだけ向上しても、それが個々の労働者の賃金に反映される保証がどこにもない。
終身雇用という仕組み自体を否定する必要はない。しかし、その仕組みを維持しながら、生産性の向上を賃金上昇にきちんと結びつけるための制度設計を、政治が長年怠ってきたことが問題なのだ。
⑤ サラリーマン自身の沈黙──賃上げの権利を自ら手放してきた
そして、もう一つ見過ごせない要因がある。労働者自身の姿勢だ。
本来、賃上げを要求する立場にあるはずのサラリーマンの多くが、自民党を「保守の安定勢力」として支持し続けてきた。政権交代の現実的なプレッシャーがなければ、企業にも政府にも、賃金を上げる仕組みを変えるインセンティブは生まれない。労働者側が声を上げず、現状維持を選び続けてきたことも、この30年の賃金停滞を許してきた一因である。
生産性の果実が届かない構造、それが「安い国」日本の正体
交易条件の悪化、非正規化を助長する税制、下請け構造での価格転嫁の弱さ、社内評価だけで賃金が決まる仕組み、そして労働者自身の政治的沈黙。これらが折り重なって、日本は生産性を上げ続けながら、その果実が労働者に届かないという異常な構造を30年間維持してきた。
「安い国」と呼ばれる日本の実態は、労働者が怠けてきた結果ではない。生産性は確かに上がってきたのだ。問題は、その果実を労働者に還元する仕組みを、政治が作ってこなかったことにある。この構造を変えない限り、日本の実質賃金が上向くことはないだろう。
参照情報
「経済産業政策の新機軸」の基本構造について(令和6年10月、経済産業政策局)
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/shin_kijiku/pdf/024_s01_00.pdf
024_s01_00


人気記事