ゴキブリには“輪廻”、国民には“我慢”――英テレグラフ紙が「寂しすぎてゴキブリと友達に」と見出しに!高市首相の一言に透ける国民との温度差

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英紙テレグラフが「Japan’s PM: I’m so lonely I befriended a cockroach(日本の首相、寂しすぎてゴキブリと友達に)」という見出しで報じた、高市早苗首相のX投稿。

だが原文を読めば、首相は一度も「友達」などとは言っていない。手塚治虫『火の鳥』の輪廻思想を引き合いに、害虫であっても殺生をためらう心情を語り、秘書官が手配した「コンバット大作戦」の後には「ほっとしましたが、少し淋しいような、悲しいような…」と締めくくっただけだ。海外メディアお得意の“盛った見出し”ではあるが、このエピソードが図らずも象徴しているのは、実はもっと根深い高市政権のずれである。

首相の「淋しさ」と、国民の「報われなさ」

首相は公邸で深夜まで書類に目を通し、自ら床を拭き、ゴミを分別する「過労の日常」をアピールしてきた。睡眠0〜3時間が常態化し、公邸を「職場」と位置づける姿勢は、一見すると「国民のために身を粉にして働いている」ように映る。

しかし、その同じ時期に日本国民が直面している現実は、はるかに過酷で、はるかに報われない。

物価は上がり続け、実質賃金は伸び悩み、中小企業や非正規労働者は生活の防衛に追われている。子育て世帯は教育費と住宅費の重圧に喘ぎ、高齢者は年金と医療費の不安を抱える。地方では人口減少とインフラ老朽化が進み、「頑張っても報われない」という閉塞感が広がるばかりだ。

そんな中で、首相が公の場で語り、しかも海外の大手紙にまで取り上げられたのが「ゴキブリ一匹に感じた淋しさ」だった。清潔を徹底しても出てくる害虫にさえ殺生をためらう心は、個人の感性としては理解できる。だが政権のトップが世界に向けて発信すべきは、そこではないはずだ。

「危機を乗り切る」はどこへ行ったのか

高市政権は発足以来「危機を乗り切り、不安を希望に変える」と繰り返し語ってきた。だが実際に国内外に届いているのは、公邸での情緒的な吐露と、海外メディアが面白がって消費する「奇妙なエピソード」ばかりではないか。

秘書官が害虫駆除を手配するスピードで、国民の生活苦を取り除く政策が実行されているとは、到底思えない。

「ほっとしましたが、少し淋しいような、悲しいような…」

この言葉を、いまの首相が世界に向けて発する資格があるのか。本当に淋しいのは、頑張っても報われない日本国民の方だ。

公邸のゴキブリに感情を寄せ、それが英紙の見出しを飾るほどの余裕があるのなら、まず国民の苦しみに、同じだけの、あるいはそれ以上の視線を向けよ。高市政権がこのまま情緒とパフォーマンスに終始するなら、国民の「報われない」現実は、さらに深く固定化されるだけである。

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