2014年6月30日放送の「ビートたけしのTVタックル」で、ビートたけしは集団的自衛権の議論に触れ、こう述べた。「貧しくとも憲法を守る平和な日本を」作っていくべきだ——。当時、安倍政権下で与党が集団的自衛権の行使容認に合意しようとしていた時期だった。たけしの言葉は、憲法9条の平和主義を重視し、軍事的拡大より憲法の理念を優先するシンプルなメッセージだった。
あれから12年。日本を取り巻く安全保障環境は確かに厳しくなった。中国の軍事力増強、北朝鮮の挑発、台湾海峡の緊張。国民の生命と暮らしを守るために、現実的な防衛力整備は必要だ。しかし、いま高市早苗首相の下で進む政治の動きを見ると、たけしの言葉が改めて重く響く。
高市政権は衆院選での大勝を背景に、皇室典範改正や国旗損壊罪の創設などを「数の力」で推し進め、国会審議の軽視を指摘される場面が目立った。「反省点は特にない」との姿勢も示された。防衛費のさらなる引き上げや憲法改正への意欲も鮮明で、台湾有事をめぐる発言では中国との緊張を一気に高めた前例もある。
「戦争できる国」への布石を打つような加速感。積極財政を掲げつつも、財政規律への懸念や生活実感との乖離も指摘される。強いリーダーシップは時に必要なものだが、ブレーキをかけなければ「暴走」に転じかねない。
たけしが言った「貧しくとも」は、単なる反戦のスローガンではない。豊かな軍事力や同盟関係を追い求めるあまり、憲法が守ってきた平和の基盤や、国民生活の安定を犠牲にしてはならない、という警告でもある。憲法を「守る」とは、条文を固定化することではなく、権力の行き過ぎを抑え、国民の安全と自由を最優先に据えることだ。
高市首相の保守的な姿勢や安全保障への真剣な取り組み自体を否定する必要はない。むしろ、厳しい時代だからこそ、憲法の平和主義という「たけしのブレーキ」が重要になる。軍事一辺倒ではなく、外交力、経済力、国民の結束を含めた総合的な国力で平和を維持する道を探るべきだ。
「貧しくとも憲法を守る平和な日本」。
この言葉を、いまの政治が忘れないように。権力にブレーキをかけ、暴走を防ぐための羅針盤として、改めて耳を傾ける時だ。


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