私たちがお金について語るとき、ごく自然に「銀行」の存在を前提とする。人々から預金を集め、それを必要とする企業や個人に貸し出す――これは、現代社会の揺るぎない常識として教えられてきた。しかし、その常識こそが、我々の富を静かに奪い続けるシステムの正体を隠す、巧妙な目くらましだとしたらどうだろうか。
本稿は、専門家でなければ知ることのなかった金融システムの「からくり」を苫米地英人博士の動画から読み解いていく。その核心は、銀行が持つ「信用創造」という錬金術だ。この仕組みを理解すれば、なぜ格差が生まれ続けるのか、そしてなぜ財源問題を理由に不可能とされてきたベーシックインカムが「財源ゼロ」で実現可能なのか、その衝撃的な真実が見えてくる。認知科学者・苫米地英人博士が提唱する「半減期通貨」を道標に、支配からの脱却の道筋を探っていく。
銀行の「信用創造」という錬金術:無からお金が生まれる仕組み
現代金融システムの心臓部に、「信用創造」という驚くべきメカニズムが存在する。この公然の秘密を理解することこそ、資本主義がなぜ一部の者に富を集中させる構造なのかを解明し、ベーシックインカムの財源問題を考える上での絶対的な前提となる。結論から言おう。銀行は私たちが預けたお金を又貸ししているわけではない。彼らは、文字通り「無」からお金を創造しているのだ。
「合法的詐欺」と評されるシステムの正体
この信用創造の仕組みは、その本質から「詐欺」とまで呼ばれる。なぜなら、物理的なお金の移動を一切伴わないからだ。例えば、あなたが住宅ローンで3000万円を借りるケースを想像してほしい。銀行はあなたの通帳に「3000万円」と数字を書き込むだけ。実際に3000万円の紙幣の束が金庫から動かされることはない。あなたの口座に数字が印字された瞬間、この世に存在しなかった3000万円が「創造」されるのだ。
銀行は物理的な元手なしに貸付金(元本)を生み出し、それに対して金利を課す。これが、彼らが巨大な力を手にした源泉である。
貸し倒れすら利益に変えるビジネスモデル
この仕組みは、銀行に常識外れの利益をもたらす。存在しないお金を貸して金利を得るため、貸し倒れのリスク概念が根本的に異なるのだ。驚くべきことに、銀行は貸付の初日に債務者が破産したとしても、その時点で利益を確定させている。
「貸付実行時、最初の金利分は振り込まれない」のだ。つまり、あなたが3000万円を借りても、実際には金利分が差し引かれた額しか振り込まれず、銀行はその瞬間に利益を確保する。元本が焦げ付こうと、そもそも銀行は物理的な資本すら1円も失っていない。極めて特殊で強力なビジネスモデルなのである。
結論として、私たちが日常で使うお金の大部分は、国家ではなく、一民間企業である銀行によって生み出されている。この民間企業に与えられた強大な権限こそが、世界規模の搾取システムの根源となっているのだ。
搾取のために設計されたシステム:サブプライム問題の深層
銀行の信用創造という力は、単独でも強力だが、「デリバティブ(金融派生商品)」という怪物と結びつくことで、社会全体から富を無限に吸い上げるシステムへと進化した。デリバティブは、この搾取の仕組みを加速・巨大化させるための、極めて洗練された装置として機能した。彼らがあなたに知られたくない仕組みの核心がここにある。
サブプライムローン:悪魔的な「3倍美味しい商売」
2008年の世界金融危機を引き起こしたサブプライムローン問題は、このシステムがいかに機能するかを示す完璧なケーススタディだ。銀行にとって、これはまさに「3倍美味しい商売」だったのである。
• 第一の利益: 移民など信用力の低い層に高金利で住宅ローンを融資することによる、莫大な金利収入。
• 第二の利益: その貸付債権を証券化(デリバティブ化)し、世界中の投資家に販売することによる売却益。
• 第三の利益: 借り手が計画通りに返済不能(貸し倒れ)に陥った際、担保である住宅をそっくり差し押さえることによる現物資産の獲得。
数学的に「ノーリスク」だった非倫理的モデル
この仕組みの最も恐ろしい点は、ブラックショールズ方程式などの数学モデル上、銀行や投資家にとっては「ノーリスク」で成立していたという事実だ。借り手の破産すらも、初めから利益モデルの中に織り込まれていた。数学的には投資家が守られる一方で、その裏では多くの人々がアメリカンドリームを夢見て手に入れた家を失う。これは、人の不幸を利益に変える金融工学の冷徹な帰結だった。
そして、この問題の核心は、デリバティブが取引される「空間」にある。そこは金融のプロ同士が取引する「プロとプロ」の世界であり、一般消費者を守るルールは適用されにくい。その結果、信用を無限に膨らませることが可能となり、一部の金融機関が世界のGDPとは「桁が違う」規模の金融資産を支配する異常事態へと繋がった。現実経済が東京の大きさだとすれば、デリバティブ空間は太平洋の大きさに匹敵する。このスケールのミスマッチこそが、現実世界に破滅的な影響をもたらす力の源泉なのだ。
結論として、銀行による信用創造とデリバティブ空間の融合は、国民から富を合法的に、そして極めて巧妙に奪うための完成されたシステムとして機能している。では、私たちはこの巨大な支配から逃れる術を持たないのだろうか。
新しい経済の形:信用創造の権利を国民の手に取り戻す
既存の金融システムがもたらす構造的な搾取に対し、苫米地博士は「半減期通貨」という全く新しい対案を提示する。これは、国家や銀行といった中央集権的な組織から、信用創造という最も重要な権利を奪い返し、国民自身が自らの信用の創造主となるという、根本的なパラダイムシフトを意味する。
信用創造の主権を国民へ
「信用創造の権利は本来、国民にあるべきだ」――これが、この革命的な提案の核心だ。驚くべきことに、日本銀行や米国の連邦準備制度理事会(FRB)は、国のコントロールが及ばない民間機関として運営されている。彼らが生み出す莫大な利益は、国民に還元されることなく、金融システムの内部で還流し続ける。
半減期通貨は、この主権を国民の手に取り戻すための具体的な設計図である。その仕組みは、二つの要点に集約される。
• 発行の主体: 「国民が運営するAI」が、国民一人一人のデジタルウォレットに直接通貨を発行する。これにより、民間銀行という中間搾取者を介さず、国民へ直接信用が供与されるのだ。
• 富の集中を防止する設計: この通貨の最大の目的は、特定の人々が富を永続的に溜め込むことを防ぐことにある。この設計が、格差拡大という現代社会の病を根本から治療する。
この新しい通貨システムは、現在の銀行支配の構造を根底から覆す可能性を秘めている。そして、これこそがベーシックインカムを実現するための、技術的な基盤となるのである。
半減期通貨ベーシックインカム:なぜ「財源」は必要ないのか?
ベーシックインカム(BI)というアイデアに対し、必ず投げかけられる最大の疑問。「その莫大な財源をどうするのか?」。しかし、半減期通貨の仕組みを理解すれば、この問い自体が、既存の金融システムの常識に囚われたものだとわかる。本稿の核心は、この「財源問題」が幻想に過ぎないと証明することにある。
財源は不要である
この衝撃的な主張の根拠は、あまりにもシンプルだ。「銀行がやっていることと同じことを、今度は国民が自分でやるだけ」だからである。
銀行が無から信用を創造するように、このBIもまた「無から信用を創造」して国民に直接配布する。したがって、税金や国債といった従来の財源は一切必要ない。これはシステムそのものの変革であり、旧来の枠組みで考える必要は全くないのだ。
年間150兆円といったBIの想定コストを聞くと、多くの人は国家予算と比較し「天文学的な数字だ」と感じるかもしれない。だが、それはスケール感を完全に見誤っている。日本の実体経済(GDP約540兆円)を東京の大きさとしよう。すると、デリバティブ空間を含む日本の金融資産全体は、太平洋の大きさに相当する。150兆円とは、その太平洋からタンカー数隻分の水を汲み出すようなものだ。我々にとっては巨大な額だが、システム全体から見れば「ほんのちょっと」に過ぎないのである。
インフレを抑制する巧妙な設計
「無からお金を生み出せば、激しいインフレが起きるのでは?」という懸念はもっともだ。しかし、半減期通貨はインフレを抑制する仕組みが巧みに組み込まれている。
• 消費へのインセンティブ: 通貨には有効期限が設定されている。これは消費税のような「使うことへのペナルティ」とは真逆の、「使わないことへのペナルティ」として機能する。人々は貯蓄や金融投機ではなく、国内での消費に使うことが強く促進され、経済が活性化する。
• 国庫への還元: 期限が切れて使われなかった通貨は消滅せず、国庫(一般会計)に自動的に戻る。そして、インフレを起こさない形で公共サービスなど国民全体のために再配分されるのだ。
結論として、半減期通貨によるBIは、財源問題を解消し、同時にインフレも抑制可能な、理論的かつ実践的なシステムだ。理論的な裏付けは整っている。残る障壁はただ一つ、政治的な意思決定だけなのである。
実現への道筋:金融解放は可能か?
この革命的な提案が実現する上での最大の障壁は、技術や経済理論ではない。純粋な「政治」の問題だ。既存の金融システムから莫大な利益を得ている勢力からの抵抗は、想像を絶するほど大きいだろう。
抵抗勢力の正体とその「まともさ」
この変革に最も強く反対するのは、現在の信用創造とデリバティブ空間を支配する巨大金融機関であることは間違いない。JPモルガン、ゴールドマン・サックス、そして日本銀行といった組織が「最大の敵対勢力」となるだろう。なぜなら、半減期通貨は彼らのビジネスモデルそのものを根底から覆すからだ。
しかし、ここで一つ重要なニュアンスを加えなければならない。この議論は、単純な「善 vs. 悪」の物語ではない。苫米地博士自身が指摘するように、これらの金融機関で働く人々は「金融の世界では一番まともな人たち」なのだ。彼らは自らの倫理規定の中で行動しており、その抵抗は悪意からではなく、自分たちの業界とビジネスモデルを守るための、極めて合理的で予測可能な反応なのである。問題は個人ではなく、個人の合理的な行動が社会全体にとっては非合理的な結果を生むという、システムそのものの欠陥にある。
実現の鍵は「国民の理解」
それでも、実現は決して不可能ではない。苫米地博士は、「国民の30%が望めば、政権はそれを受け入れざるを得ない」と断言する。有権者のうち2000万〜3000万人がこの変革を支持すれば、どんな政権もその声を無視することはできない。
最終的に、この金融解放が成功するか否かは、たった一つのシンプルな事実にかかっている。それは、「私たちのお金は、銀行によって無から生み出されている」という金融システムの真実を、どれだけ多くの人々が自らの問題として理解できるか、という点なのだ。
自らの手で未来の経済を創造する
苫米地博士は、信用創造という「合法的詐欺」が、いかにして富の偏在と搾取の構造を生み出してきたかを暴き出した。そして、その支配から脱却し、国民が経済の主権を取り戻すための具体的な対案として、「半減期通貨」を提示された。
財源不要のベーシックインカムは、もはや夢物語ではない。それは、金融システムの根本的な仕組みを変革することで実現可能な、具体的な選択肢なのだ。この変革は、一部の金融エリートから国民全体へと富を再分配し、格差問題を根本から解決する力を持つ。
今、求められているのは、政治家や専門家に判断を委ねることではない。この記事を読んだあなた自身が、まず「お金の本質とは何か」という根源的な問いと向き合い、学ぶことだ。金融システムの真実を知ることは、もはや単なる知識ではない。それは、より公正で豊かな社会を自らの手で創造するために、私たち一人一人に課せられた市民的義務なのである。


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